唐辛子が日本へ





唐辛子が日本に伝わったのは天文11年(1542年)という記録が残っており、ポルトガル人によって長崎の出島に持ち込まれたのが最初になっています。
南蛮船が唐辛子を積み中国を経由してやってきたことから、唐辛子は「唐芥子」「南蛮」などと呼ばれるようになりました。この南蛮の名残で、ここ数年前までは唐辛子のことをナンバと呼ぶ人もいました。

また唐辛子が高麗コショウと呼ばれていたという記録もあるので、豊臣秀吉の朝鮮出兵のときに兵士の一人が唐辛子の種を持ち帰ったことが最初だという説もあります。つまり唐辛子は一つのルートではなく、多くのルートを通じて日本に伝わったと考えて間違いないと思います。

唐辛子は江戸時代からはすでに庶民の生活にも馴染んでおり、そこで栽培品種も多くなってきました。一般的で有名な「鷹の爪」や「本鷹」、甘味種では「日光」「伏見」などの品種が次々に生まれてきました。
しかし辛くない唐辛子の品種を含めて、唐辛子の多種多様な品種が日本に出回るようになったのは明治時代になり文明開化が進んでからだと言われています。

鷹の爪は日本を代表する唐辛子となっていますが、その栽培は3〜4月に苗床に種をまいて5月中旬に苗木を植えます。その後はこまめに助走などを行い収穫するのは9月からとなっています。
その辛さは他の香辛料に比べてもかなり刺激的で、今では日本の食文化の多様化から家庭の食卓やエスニック料理店でも手軽にその辛さを味わえるようになりました。